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名古屋高等裁判所 昭和25年(う)1954号 判決 1950年12月28日

控訴人 被告人 佐藤浅治

弁護人 野村均一

検察官 小宮益太郎関与

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用は、被告人の負担とする。

理由

弁護人野村均一の控訴趣意は、別紙の通りである。

その第一点について。

本件起訴状の公訴事実の記載を見るに、所論のように、犯罪の動機が記載せられていることは、明らかである。公訴事実は、刑事訴訟法第二百五十六條に定むる通り、犯罪の日時、場所、犯行の方法手段等を記載して犯罪事実を特定し、よつて訴因を明確にすることが必要であつて、犯罪事実及び情状に関し、裁判所に予断を抱かしむる虞れのある事項を記載することを禁止されているが、本件のような暴行傷害に関する公訴事実については、犯罪の構成要件に該当する事実のみを記載しただけでは、これを具体的に明確ならしめることは困難であつて、これを明確ならしめるには、犯罪の動機も相当程度に記載することが必要である。而して起訴状記載の動機の点は、本件傷害罪についての具体的事実を明確にするため必要な程度のものであつて、予断を抱かしめる虞のある不当なものでないことが明らかであるから、本件公訴事実の記載に違法な点はなく、論旨は、採用することができない。

同第二点について。

原判決は、その犯罪事実として起訴状記載の公訴事実を引用しているが、原判決挙示の証拠を綜合すると、被告人は、服部進一と共に生命保険の外交員をしていたものであるが、服部が、被告人と共同の地盤で、被告人より成績を挙げていたので、これを快く思わず、憤慨の末昭和二十五年八月十二日頃、原判示服部進一方に到り、就寝中の同人に対し「やい進公居るか」と言つて怒鳴り込み、服部の胸倉を掴んで押し立てたので、同人が被告人を押し返さんとしたところ、被告人は所携のナイフを振り上げて斬りつけたので、服部が原判示の通りの傷害を負つたことが認められ、原判示のように、被告人が、「片手を以て服部の首を扼し、更に所携のナイフを同人に向つて突き出し」た点は事実誤認であることは、所論の通りである。然れども、「首を扼し」たことがなく、ナイフを「突き出し」たのでなく、「振り上げて斬り付け」たに過ぎないのであつたけれども、被告人が原判示の通り、服部進一に対し所携のナイフで傷害を負わしめたことは間違いないことであるから右の事実誤認は、比較的軽微なもので、犯罪の成否又は量刑について、判決に影響を及ぼすこと明らかなものと解することはできない。原審裁判所としては、証拠に基いて、微細な点に至るまで正確に認定し、起訴状記載の公訴事実を鵜呑みにすることは愼しむべきことであるけれども、前記のような事実の誤認だけでは、原判決を破棄する程のこともないので、論旨は採用することができない。

同第三点について。

「ナイフを突き出し」ても切創を負わしめ得ることは、経験則に違反するものでない。即ちナイフを突き出すと同時にそのナイフが相手の肉体に触れた時は、多くの場合剌創を生ずるけれども、互に格闘しているとき、ナイフを突き出すと状況により、切創を与えることもあるので、原判決が「ナイフを突き出し」て、切創を与えたと認定したことは、その理由にくいちがいがあるものと謂うことはできない。而も前記説明の通り、被告人は、ナイフを突き出したのでなく、振り上げて斬り付けたことが真相に合致し、これがため切創を与えたもので、右の「突き出し」と認定したのは、判決に影響を及ぼさない事実誤認と謂うことができるから、この点についても、論旨は理由がない。

よつて刑事訴訟法第三百九十六条により、本件控訴を棄却し、当審における訴訟費用は、同法第百八十一条により、全部被告人の負担とする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 堀内斉 判事 鈴木正路 判事 赤間鎮雄)

弁護人野村均一控訴趣意

第一点原判決には明に判決に影響を及ぼす訴訟手続上の法令違反があるものと信ずる。即ち本件起訴状には「被告人は服部進一と共に生命保険の外交員をして居る中、同人との共同地盤に当る名古屋市東区石町附近一帯に於て同人が単独で保険外交をし成績を挙げていることを心快く思はず同人に対し再三之を思ひ止らせようとしたが、同人に其の気持の無い為め之を憤慨していたところ」と記載されて居るが、かかる事実が裁判官に被告人の暴行或は傷害の意思に付ての予断を生せしむる虞あることは明かである。新刑事訴訟法は当事者主義を強化し、証拠提出以前に裁判官に事件に付て予断を懐かしめるような事のない様にと、起訴状一本主義を採り、第二百五十五条六項に之を明かにしている。而して本件の傷害の起訴に付ては、前記の文句は単なる動機であつて之を記載せずとも傷害の公訴事実としては十分なり立つものである。原判決が右事実は公訴事実と直接不可分の関係にある事実ではないものとして取扱つていることは明かである。されば前記文句は不必要なことを書いたもので、而かもかゝる動機が裁判官に対して被告人の暴行或は傷害の意思に付て予断を懐かせることは明かである。さればかゝる起訴状に基く公訴提起は不適法であるから、原審は刑事訴訟法第三百三十八条四号に該当するものとして公訴を棄却さるべきである。

第二点原判決には明かに判決に影響を及ぼす事あるべき事実の誤認があるものと信ずる。原判決は犯罪事実として矢庭に片手を以て同人の首を扼し更に所携のナイフを同人に向つて突き出し」の事実を認定しているが、原判決理由に証拠として挙示されている証人服部進一の公判廷に於ける供述(三一丁)によれば却つて「首を絞められなかつた」事実が認められ、「所携のナイフを同人に向つて突き出した事実は」原判決採用の何れの証拠によるも之を認め得ない。記録を精査するに司法警察員並に検察官作成に係る被告人の供述調書に於ても、被告人はナイフは偶々草を切らんとして持つていたもので服部が傷ついたのは被告人と服部が口論を始めた時、服部が被告人のアバラを殴つてきた為め被告人が偶々前掲の理由で所持していたナイフに触れた為めに傷ついたのであると述べて居り、公判廷に於ける供述にみるもナイフも手斧も私のもので両方とも持つていたことはありますがそれで切りつけたり又振り上げたことはない(三六丁)私が「進公居るか」と云つて行くと服部さんは「この馬鹿野郎」とか「おいぼれ」とか云つたので私は「恩知らずめ」と云つてやりました。すると服部さんは立腹したらしく、いきなり私のアバラを蹴りました。此の時私のもつていたナイフが服部さんの腕に触れて傷を負はしたものと思います(三六乃至三七丁)と述べて居り佐藤浅治に対する医師横井互の診断書は右供述の真なることを証明している。されば被告人にはナイフで切りつけた事実が認められないばかりでなく、傷害の意思は勿論暴行の意思も認められない而して斯る事実の誤認が判決に影響を及ぼすは明かである。

第三点原判決には其の理由に齟齬があるものと信ずる。

原判決認定の犯罪事実には「ナイフを同人に向つて突き出し、因て同人の左前縛部に治療約一ケ月を要する切創を蒙らしめた」と判示されているが、成程、原審採証の服部進一に対する医師住田英信の診断書によれば、左前膊天骨側中央部に約拾糎の縦に走る切創ありの事実を認め得るがかゝる切創が「ナイフを突き出し」て生ずると云うことは実験法則上あり得ないことである。

されば原審判決には理由に齟齬あるものと云わねばならない。

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